「絶対にお外に出ちゃいけません」ってご近所さんや知り合いに注意されていました。「外からきた食事や飲み物もとっちゃだめよ」「町中、ラリってるから・・・特に外国人のあなたは外に出ない事」って。
だって、無礼講の日・・・
確かに、アパートから見下ろしても外を出歩く女性は見かけた事がなかったなぁ
そんなハーリー祭には、合法(だと言われている)何かが飲料として、当然の如く、皆が飲んじゃうんだって・・・
・・・だから、ホーリー祭に参加し、楽しむなんて出来ないと思ってたもの
バクシさんのお陰で 味わってみちゃえる
ホーリー祭り
バスに乗っていざ出発
ホーリー祭を楽しむのは、我らの兄貴分である、バクシ氏のご実家と妹さんの家
オールドデリー近くの住宅街に向かいました
まずはバクシ家にて、
プチインド料理教室
インド料理の主食の一つである、
プーリー
KING MAMA のインド料理クラスの中でも作っている チャパティの揚げバージョン。同じ材料で、チャパティは焼きますが、プーリーはフライするのである。どちらも美味しく、カレーを付けて食べるんですよ。
それぞれが、オイルの中でプワァ~っと膨れるプーリーを お玉で押さえながら上手に揚げました。
自分たちで揚げた プーリーを、サブジ(カレー風味野菜炒め)や豆カレーなどと一緒に頂きました。
あんなに朝食摂ったのに・・・まだ食べられるほど美味しかった
さらにお腹がいっぱいになった私たちは、実家からスープの冷めない距離にある妹さんのお家にテクテク移動
手荷物をお部屋にキープして、
ワクワク ドキドキ屋上に上がって
いよいよ、ホーリーの醍醐味に突入
見よ このいたずらっぽい、満面の笑み
太鼓などのバンドさんと盛り上げダンサーを呼んでくれていて・・・
数十分間、屋上でドンちゃん騒ぎ
私たちは、百均などで購入した水鉄砲
彼女たちは、バズーカのような巨大な水鉄砲
・・・デカっ
仕舞いにはバケツいっぱいに色水タップリで
びしょ濡れ・・・
「ホーリーハェー」童心にかえって、凄く楽しかった
ハイテンションの私たち
各々がポーズを決めている
・・・原色カラーを額から滴らせながら満面の笑みで
屋上から下を見下ろして見ると・・・
爆音として流れる ヒンディーミュージックと歓声、そして 舞う粉、パンパン割れる水風船
しかも、私たちのドンちゃん騒ぎは・・・お隣の建物の屋上からしっかりと見物されていた
屋上から帰り支度をし、日本から準備して来た、レインコートを着込んでバスに乗り込みました。
カラーパウダーや、色水を滴らせたままでは申し訳ないので準備してきたのよ~
「さすが、日本人」・・・と 感動されましたよん
ちっちゃな事かもしれないけれど、好印象で良かったな・・・楽しんだ事のお尻は綺麗にしていなきゃね
安全で安心な ホーリーを楽しませてもらえたのも、バクシさんのお陰・・・ありがとう~
ホテルに戻って、 シャワーに入って、ランチ
3日分の荷物をまとめて、ロビーに集合
ヒンズー教の7大聖地の1つである北インドのハリドワルへ・・・
5時間の大移動なのである
州毎に、税金を納めて通過する場所があり、一時停止。
運転手さん、中に入ったままなかなか出てこなかった・・・混み合っていたみたい
沖縄は陸続きじゃないから、長時間移動って慣れてないんだよね、みんな。
まずはトイレ休憩
ガーデニングの彩りが 素敵だった
お尻が痛かったり、移動疲れでひたすら眠りながらの車内だったけど・・・
時々、お菓子食べたり、飲んだり、お話したり。
踏み切り付近には、カラフルにディスプレーされたお野菜が売られていました
子どもや大人の売り子さんたちが、車に寄って来て何やら売り込み始めますが・・・
長~い、道のりを経て
ハリドワルに着く頃は、すっかり陽も暮れて暗くなっていました。
ホテルの玄関にある像
ホテル到着後、まだ、皆が荷物を確認しながらソファーに座っている中、バクシさんに
「千恵さん、千恵さん、ちょっと・・・」・・・と呼ばれ、玄関隣にある、ちっちゃな寺院に。
そこはドゥルガー女神の祭られているところでした。もう時間も遅かったのでお坊さんはいらっしゃらなかったけれど、この数日間ホテルに滞在させて頂く事のご挨拶をしました・・・
私と、バクシさんだけのご挨拶だったんだけど・・・この事で、後から妙な事が起こってしまいました
部屋割りをし、まずはお部屋へ・・・
この時、私は各部屋に、セージを持って回りました。
みな、疲れもあったのですが・・・食事を取るために階下へ集合
ディナーバイキング
ハリドワルのホテルはアルコールがないんですぅ・・・
私の舌、味覚はインド人並み
「皆が辛くて飲めない・・・」というスープを平気で飲んでいたり・・・
人より食べられるメニューが多い私
丁度、この3月22日にお誕生日の方がいたので、バースデーケーキでお祝いを
長時間移動の疲れもあって、早々と各部屋に戻り、眠りについたのであった